top of page
窓からの眺め

ご利用者さまの声

大手衣料品製造メーカー・管理職

30代女性 ADHDとASDの診断​

これまで、特に仕事で相手に何かを説明する時や、細かい段取りを決める時は、理解してもらうために論破しなければならないと、いつも必死になっていました。それ以外の接し方はわからなくて、とにかく突っ走ることしかできない感覚がありました。

でも、こちらで自分の素直な感情を出しながら振り返りをしていくことで、そのコミュニケーションの方法は、小さい頃から自分が家庭や学校でされていたことだったと気づきました。

私の他者の意図を認識するあり方が、他の人たちと異なっていたんだなということが、今では納得できますが、当時の私は知る由もなく、皆私と同じように納得できない想いを抱えながら、頭だけで理解して従うのが、当然なんだと思っていました。それに、学校で友人たちと話していて、自分だけわからないことがあると、私が学校を休んでしまった時に、皆が授業で習っていて、私は置いていかれてしまったんだと、社会人になってからも本気で信じていました。

それでも、社会に出て30歳になって、あまりにもうまく行かないことが多くなり、ADHDとASDの診断がついてからは、皆自分と違うんだって気づいて、すごく悔しい思いがありました。

そのことで、ここを利用しはじめた当初は、支援員さんに何度も八つ当たりをしました。それでも支援員さんはいつも通り接してくれたので、自分ごととして受け入れるプロセスを辿ることができました。それが私にとっての、とても遅い反抗期だったように思います。

 

お陰様で、現在は、突っ走ることしかできなかったのが、自分の不快感情を受け入れることができるようになった分、立ち止まることもできて、俯瞰して周囲の状況を捉えられるようにまでなりました。その頃に、上司から「会話の論点を、的確に捉えてくれるようになったね」と、私の変化を評価されるようになったことが、とても嬉しかったです。

 

今は、部長に昇進することもできて、昇進から3年になりますが、部署のメンバーと協力しながら、なんとか充実した社会生活を送れています。

最近はよく、発達してもすべてがうまくいくわけではないんだな、という想いになりますが、そこに関しては、皆同じようなものなんだな、とも思えています。

人材派遣会社・企画戦略部勤務 30代男性 ADHD診断

職場では、何でも引き受けてしまうことが多く、スケジュール管理や、「この仕事ならこのくらいで終わるだろう」という把握に必要な時間感覚も苦手でした。多くの案件をひとりで抱えて、いつも時間に追われていました。

苦手な作業を伴う案件は、期限ギリギリになるまで着手できずにいたことも、忙しい状況に拍車をかけていた大きな要因でした。

 

本当に焦ってばかりの毎日で、何とかしようとして、ホスピタリッチさんを頼りました。

最初はなかなか現状が変わらない日々が続き、ヤキモキしていました。なにか手っ取り早い方法をアドバイスしてくれて、すぐにすべてがよくなると思い込んでいたんです。そんな間違った期待から不満がつのって、支援員さんを責めてしまうこともありました。でも、支援員さんはそんな理不尽な態度も受け止めてくださるので、なんだか素の自分を出す安心感が生まれてきたのを、今でも覚えています。そうして、いつしか毎週利用するのが、心の拠り所になっていました。

次第に、感情をそのまま支援員さんに言えるようになっていくと、不思議と仕事のスケジュールを、歴史年表をみるように眺められるようになっていきました。このことが不思議で、自分で論文を調べていくと、ADHDのさまざまな苦手さは、感情処理の苦手さからきているのではないかという発表内容をみつけて、これだと納得しました。そのことを知ってからは、支援員さんにどんどん感じていること・思い出した過去のつらいことなど、思い付くままお話ししました。

今まで、職場の先輩から散々周囲に仕事を振った方がいいといわれていてもできなかったのですが、今は抵抗感が薄くなり、お願いが柔軟にできるようになっています。

その他にも、後先考えずに安請け合いしていた仕事の仕方も変わって、現状だと他の案件が間に合わないな、と判断して断ることもしやすくなっています。

 

ただ、ADHD特性がなくなったわけではありません。一つ一つやらないとうまくいかないという自分の性質を、自分で当然のように受け入れられたので、焦ることなく、自分の性質理解にもとづいて生きているという感じです。

精神的な負担が解消されたことは、なによりも大きいので、支援員さんには大変感謝しています。

bottom of page