ADHDの概念について
「ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)」とは、衝動性、注意散漫や多動を特徴とする発達障害であり、その行動特性の組合せから、不注意優勢型、多動性ー衝動性優勢型および混合型に分類されています(1)。
発達障害という名称は、精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)の第5版であるDSM-5から、「神経発達症(Neurodevelopmental Disorders)」に変わり、脳機能の発達が強調されています。
DSM-5の日本語訳に際し、disorderについてはとりわけ児童青年期の疾患では「障害」とせずに「症」とすることが日本精神神経学会精神科病名検討連絡会(2014)から提案されました。
「障害」という名称は不可逆的な状態にあると誤解されやすく、児童や親に大きな衝撃を与えることになる、ということが主な理由とされています(2)。
しかしながら、 「発達障害」という名称がすでに診断名として定着していたことから、神経発達症に含まれる「ASD
(Autism Spectrum Disorder)」や「ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder)」も日本語の表記では、「自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害」「注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害」のように併記されています。
ADHDの診断は、診断マニュアルにある診断基準の症状と対象者の行動特性とを照らし合わせ、さらに発達歴を含めたさまざまな情報をもとに総合的に判断される場合が一般的とされています。
ADHDのメカニズム
ADHDの背景にある生物学的メカニズムとして、神経伝達物質であるドーパミンの異常や、前頭葉ー線条体(fronto-striatal)のシステム不全が指摘されています。
このように神経科学的研究の進展から、ADHDの生物学的メカニズムが徐々に明らかになってきましたが、いまだにADHD診断の基本はDSM-5の行動に基づく判断基準に頼っている部分が大きく、客観的診断が可能なADHD固有の生物学的マーカーの特定にはいたっていません。
ここでは、現在までに挙げられた仮説についてご紹介します。
『実行機能障害仮説』
アメリカの心理学者ラッセル・バークレー(Barkley, R. A.)が、ADHDは行動抑制の欠如によって招かれるとし、その役割を担う機能の障害である実行機能障害仮説を提唱しました(1)。
当初は、この実行機能障害に基づくADHDの心理学的仮説が広く受け入れられていました。
実行機能障害とは、目標の設定・計画・計画の実行・行動の選択が適切に行えないことを意味しています。
この障害があると実生活では、意図したことを柔軟かつ計画的に考えて行動に移すことに支障をきたすことになります。
空間作業記憶・反応抑制・シグナル検出・ストループ課題などの心理検査で測ることのできる空間認知や行動抑制、注意の持続などの障害がADHDでは顕著に認められることからも、実行機能障害仮説は正しいと考えられていました。
しかし、ADHDを診断された当事者すべてが、同じように実行機能が障害されるわけではないことや、ADHDの有無と実行機能障害との関連は実行機能を調べる課題によってさまざまであることから、実行機能障害仮説だけでADHDの症状を説明するのは困難になりました(2)。
『デュアル・パスウェイ・モデル』
イギリスの心理学者エドモンド・ソヌガ・バーク(Sonuga‒Barke, E. J.)は、実行機能障害に加えて、報酬系の障害を指摘しました(3)。
動機づけに深くかかわる報酬系に障害があると、報酬の遅延に耐えられずに衝動的に代替の報酬を選択するというパターンが表れます。
また、報酬を得るまでの主観的な時間を短縮させるために注意を他のものに逸らす、あるいは気を紛らわすための代償行為を行うというパターンが生じます。
ADHDの報酬系の障害として、前者のパターンは衝動性を指し、後者は不注意や多動性の症状として説明できると考えられました。
さらに、実行機能と報酬強化を司る皮質‒線条体‒視床‒皮質(CSTC)回路を中心とした形態的・機能的異常があり、これらによってADHDの神経生物学的基盤が説明できるとしました。
『トリルプ・パスウェイ・モデル』
エドモンド・ソヌガ・バークらは、新たに実行機能と報酬系だけではなく小脳機能の異常についても報告しました(4)。
小脳の機能はいわゆるタイミングに関係し、これを調べる研究では、合図に合わせてボタンを押す課題の後、合図が無い状況でも同じ間隔でボタンを押すように指示されます。
その結果、定型発達者に比べてADHD当事者ではボタンを押すタイミングにばらつき(標準偏差)が有意に大きくなることが表れました。
このようなタイミングに代表される時間感覚の異常が、予定の時間までに段取りよく行動できなかったり、日常の活動に要した時間を感じ取れなかったり、相互的な会話を行うときにタイミングが合わなかったりといったように、日常生活全般に影響を及ぼすのではないかと考えられました。
しかし、エドモンド・ソヌガ・バークらの報告によると、ADHDの児童に対する実行機能・報酬系・小脳機能の障害の有無についての調査で、71名中49名はそのうち1種類あるいは複数の神経心理学的障害が見つかりましたが、残りの22名からは見つかりませんでした。
この結果を受けて追試した論文(5)からも、実行機能・報酬系・時間感覚のうち複数の神経心理学的障害を持ち合わせる者は少ないことがわかり、さらに、これらの障害がない者も複数報告されています。
こうしたことから、同じADHDであっても異なる神経心理学的障害に分かれる可能性が出てきました。そして、実行機能・報酬系・時間感覚以外の神経心理学的障害が存在する可能性が示唆されました。
『デフォルト・モード・ネットワーク障害仮説』
現在、生物学的マーカーの候補として注目されているものに、fMRIなどの脳機能計測が挙げられています(8)(9)。
この研究から近年注目されている仮説に、イギリスの心理学者エドモンド・ソヌガ・バーク(Sonuga‒Barke, E. J.)らによって提案されたデフォルト・モード干渉仮説(default-mode interference hypothesis)があります(10)。
デフォルト・モード干渉とは、安静状態に観測される超低周波脳活動が、課題を実行しようとした時に必要となる脳活動へ移行することで、その干渉を受けたデフォルト・モードネットワークの活動が弱まって、課題に取り組むための脳活動へと切り替わることを指しています(10)。
ADHDの場合、安静から課題への移行時にも、デフォルト・モード・ネットワークの活動が弱まらないまま、次の活動に移行してしまうことが示唆されています(11)。
これによって、注意が散漫になりやすかったり、計画やその実行などがしづらい状態にいたっているのではないかと考えられています。
また、安静状態のデフォルト・モード・ネットワークは、パフォーマンスを発揮するためのアイドリング状態を作り上げる役割もありますが、ADHDのデフォルト・モード・ネットワークは前頭ー後頭部の機能的結合が低下していることが指摘されているため、実行機能が弱くなり、認知的活動や行動的パフォーマンスを十分に発揮することにも支障をきたしている可能性があります。
ここまで生物学的マーカーを概観してきましたが、そもそもADHDをはじめとする発達障害は、遺伝子多型を含めさまざまな生物学的多因子から構成される表現型であるため、ひとつの原因でとらえようとしたり、カテゴリーで把握しようとする考え方は通用しない複雑性があります(12)(13)(14)(15)。
ADHDの治療(支援)目標
ガイドラインにおけるADHDの治療目標
本ガイドラインは、ADHDの治療目標を以下のように捉えることを推奨する。
治療目標は決して3主症状が完全になくなることに置くのではなく、それらの症状の改善に伴い学校や家庭における悪循環的な不適応状態が好転し、ADHD症状を自己のパーソナリティ特性(「自分らしさ」と呼んでもよい)として折り合えるようになることに置くべきである。結果としてADHD治療の最終的な目標は、第一に障害受容を通じたほどほどの自尊心の形成、第二にADHD特性を踏まえた適応性の高いパーソナリティの形成の2点となる。
(抜粋:神尾陽子:かかりつけ医等発達障害対応力向上研修テキスト.東京;国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所:2018.URLhttps://www.ncnp.go.jp/mental-health/kenshu/dd_taioryokukojo_H29.html 2023年3月 閲覧)
国立精神・神経医療研究センターが重視している治療目標(16)(17)が意味するものは、治療や障害という文脈によらず、広く一般に「パーソナリティの発達(成長)」という文脈にも同じようなことがいえます。
自尊心には「随伴性自尊感情(contingent self esteem)」と「本当の自尊感情(true self esteem)」の2種類があります。
随伴性自尊感情は、「優れているというある一定の基準を満たすこと、あるいは対人的期待または精神的期待に沿うことの結果として生じる、実際、それ次第で決まるような自分自身に関する感情」(18)を意味します。
それに対して、本当の自尊感情は「より安定的で、確かな自己感覚にしっかりと基づくもの」であり、「自分自身に対して忠実である人は、自分らしくあることによって高いレベルの本当の自尊感情をもつ」(18)とされています。
そして、本当の自尊感情は肯定的な結果につながるが、随伴性自尊感情は必ずしもそうではないと考えられています。
さらに、本当の自尊感情は、自分らしくあることによって自然と沸き起こる自己価値の感覚であるとされています(19)。
この自分らしさの自己価値を「本来感」といい、この感覚が高いと、さまざまな社会的場面において直面する葛藤を統合的に解決するスキルが高い傾向にあったり(20)、well-beingが高い傾向がある(21)ことなどが示唆されています。
また、こうした自尊感情は、生物・心理・社会的要因が相互にダイナミックな影響を与えていると考えられています(22)。
自分は優れているなどで表現される随伴性自尊感情は能力的側面が軸になりますが、本当の自尊感情は自己価値が軸となります。
この自分らしさともいえる自己価値の形成には、重要な他者との関係性、特に受容的関わりが不可欠な要因と考えられています。
こうした特定の他者との関係性を通して、
「素の自分に関心を向けた関わり」「一貫した自分らしさを形成すること」「自己の内面に葛藤すること」「固執した信念の“とらわれ”から抜け出すこと」などが形成されることを経て(23)、見つけ方はそれぞれであっても「本来の私」が体感されていきます(24)。
上記のことから、本来感の向上は生きやすさのみならず活躍のしやすさにつながり、そのためには受容的他者との関わりによって「本来の私」がより形成されることが大切になるといえます。
参考文献
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