誰にでもいえる
自他境界
自他境界とは
他者との関わりにおいてトラブルに発展しやすいとき、『自他境界』という言葉でトラブルを紐解くことがあります。
この用語は、精神医学などに大きな影響を与えた学問である「精神分析学」と、その流れをくむ「交流分析」からの言葉になります。類似した言い回しに「自他分離」「自我境界」「バウンダリー」などがあり、定義を含めて用語的定式化はなされていません(1)。イメージのしやすさから、ここでは「自他境界」に統一しています。
自他境界とは、簡単に説明すると「自分以外の他者やモノは、自分とは別のものである」ということを、成り立たせたまま活動するための防護服のようなものです。
これがあることによって、周囲の影響に左右されずに、ある程度安定して他者や未知の事柄とうまく関わっていくことができます。
自他境界は、肉体的に別物であるという目で見てわかる理解だけではなく、感じ方や考え方なども自分と他者で異なっているという区別が、意識せずとも認識として成り立たせてくれる機能があります(2)。
この自他境界があいまいになっていることで、人間関係に支障をきたしやすくなったり、心の不安定さを巻き起こしたりします。
だれにでもある「あいまいさ」
自他境界のあいまいさは、発達障害でよく見られる一つの傾向であり、特に自閉スペクトラム症(以下、ASD)を診断された方に表れるとされています。
ただ、注意が必要なのは「発達障害でないから必ず自他境界がきっちり分かれている」ということではないということです。
一説では、そもそも日本の文化では、集団の価値観や規範に自らを融合させていく傾向が強いため、自他境界があいまいになりやすい傾向があるといわれています。
この傾向では、自身に対する認識をする際に、他者比較を手がかりとしたものになりがちで、結果的に自己卑下・自己批判的になる傾向が高く、自尊感情が低くなる傾向にあるとされています(3)(4)。
それに加えて、自分と他者が明確な人でも、ストレスや過労などによって、どんどん自他境界があいまいな状態になることがあります。
また、認知的他者理解よりも感情面の共感性が高い人も、他者の感情に巻き込まれやすい場合があり、その結果として自他境界があいまいになりやすいというケースもあります。
このように、様々な側面を考えた時、自他境界のあいまいさは少なからず誰にでも生じる可能性があり、程度の問題といえそうです。
葛藤や困難さの解消のためには、その自他境界のあいまいさの度合いや種類によって、自他境界を育てていくプロセスが必要になります。
まずは、自他境界があいまいだと起きやすい問題についてみていきます。
「あいまいさ」だと起きやすいこと
自他境界があいまいだと、その分、継続的な対人関係が難しくなります。
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「自分のことをわかってもらえない」や「自分がどうしたらいいかわからない」からくる葛藤
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相手に対応しようと必死になることからくる焦燥感・強い不安
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傷つきやすさ
これらによりさまざまな感情的反応が増していき、思考にも影響を与えます。
結果として、一人でいた方がいいという結論を出して自己破壊的な行動選択をしたり、過度に親密な関係性を必死に求めたり、という社会生活を送るうえで悪循環を生む問題が発生することもあります。
また、新たな理解を増やすことや、現状をうがらずに把握することにも影響し、目の前の課題解決がしづらくなるということにもつながります。
典型的な「あいまいさ」2パターン
自他境界のあいまいさは、大きく2種類の傾向に分けることができます。
a.自分の領域を“他者にまで”広げる傾向
b.他者の領域を“自分にまで”広げる傾向
上記の2つのパターンに傾向を整理したものを、詳しくみていきます。
■ a.自分の領域を“他者にまで”広げる傾向
この傾向は、他者とさまざまな場面で接しているなかで、「他者は自分と違う人生経験やモノの見方をするものだから、自分とは違う考え方・感じ方をするかもしれない」という前提が思い浮かびづらいという状態を指しています。
「他者には別の考え方があり、自分と違っていてもいいし、自分が知っていることを他者がわからなくても当然で、自分が他者をコントロールする必要もない」という感覚を前提に考えることが、難しくなっている状態ともいえます。
「自分の領域を他者にまで広げる」傾向では、たとえば以下のような思い込みをしやすくなります。
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自分が考えていることはみんなにとっても絶対に正しい
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自分が考えていることは、相手も考えているはずだ
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自分がこんなに困っているんだから、気持ちは相手に伝わるはずだ
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自分のルールは相手にとっても守らなければならないルールだ
こうしたことによって、以下のようなケースに発展することもあります。
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他者の都合やルールを、一方的に自分の都合に合わせようとする
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他者の価値観や信条があることに気づかず、自分の価値観や信条に反する他者の言動を否定したり、怒りがあらわになる
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他者の視点をうまく想像できず、自分の見聞きしたことや考えは、当然他人もわかってくれるという前提で話をして、うまく伝わらない
実際には相手は自分と同じ考えや価値観と同じにはならないので、不要な怒りや不安、葛藤を抱えやすくなります。
■ b.他者の領域を自分にまで広げる傾向
この「他者の領域を自分にまで広げる」傾向では、自分と他者の区別がつかないがゆえに、他者の影響を受けやすいという状態を指します。
それによって、下記のようなケースに発展することもあります。
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自分の考えが消えてしまいやすく、他人の考えをそのまま受け入れてしまう
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「他人の問題や責任」と「自分の問題や責任」の区別がつかず、他人の不始末の責任を引き受けてしまう
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相手の要求を見境なく受けいれてしまい、嫌だと言えない、要求をはねつけることができない。
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相手からの指摘や批難を受け入れやすく、自分の性格や能力を問題視しやすい
自分と他者は別のものだという感覚に基づいていないために、他者、特に周りのことを考えない「侵入的な人」の対応に追われやすい傾向があります。
ASDと「あいまいさ」
ASDを診断された方のなかには、感覚の敏感性がとても高い方たちがいます。
匂いや皮膚感覚・目に見えるものに対して、細かいところによく気がつく高い識別能力がある反面、それらが強い外部刺激として感じられ、それは他者の感情表現をも苦痛を伴う刺激になり得ます(5)。
この感覚の特異さが、自他境界の発達に関係してきます。
ここで一度、自他境界がどのように発達していくのかを確認しておきます。
Bick(1968)の「二次的皮膚 second-skin」理論によると、乳児はまださまざまな感覚がまとまりを持っていない段階で、養育者から抱っこをされたり、授乳される体験から徐々に身体感覚にまとまりを形成し、撫でられたり笑顔や言葉がけを向けられる体験などを通して、さらに多くの感覚にまとまりを作っていきます。
こうした相互作用を「皮膚機能」といい、主に五感を拠り所に、自分とそれ以外という自他境界の最初の段階を構築していきます(6)。
このようにして、身体からの情報によって、自分の内側と外側という認識が立ち現れやすくなることで、内省機能というさまざまな発見を通してより多くのまとまりが得られる働きが育ち、自身の内面に起きる多くの刺激も感情として捉えて整理することが可能となります(7)(8)。
こうしたプロセスによって、自分の外側のことにもまとまりを作って整理することができ、他者存在が明確になって、推論的な他者理解も円滑になっていきます。
ちなみに、このまとまりの集合体をパーソナリティといいます。
つまり、パーソナリティはまとまりとして自身を保護しながらも、新たなまとまりを作る空間や手がかりを提供しているといえます。
ASDに見られる感覚の特異さとの関係で、なんらかの理由で上記の養育者との相互作用による「皮膚機能」がうまく働かなかった場合、部分的にまとまりが形成されにくく、その分「自分とそれ以外」という境界が十分に生じづらくなります(5)。
そうして、自他境界は薄いものとなり、そのことからまとまりをもって捉えられない刺激は、恐怖を伴う耐えがたい刺激として本人に感じられることとなります。
この耐えがたい刺激をなんとかするために、ある種の防衛本能によって、さまざまな対策が取られます。
【自閉対象】
刺激に対して、まとまりを持って認識できる時、このまとまりを「内的対象」または単純に「対象」と呼びます。
ASDに見られる自他境界の薄さによる耐えがたい刺激に対処するために、通常の対象の代わりに「自閉対象」というものが形成されます(9)。
自閉対象の機能は「自分ではないもの」に対する気づきを排除することにあります。そのため、自分ではない=外界も「自分」の一部として感じることになります。
外界を自分の一部として成立させるために、自然と他者や集団の模倣をはじめます。
目に見える形で、周囲と自身が同じであるという認識を形成することで、外界は自分の一部であるという感覚を維持して、脅威となる「自分ではないもの」が排除されます。
さらに、自身の内面で起きている生理現象を含めた多くのことが、自分を脅かす刺激となり得るものであれば、それも「自分ではないもの」となるので排除され、意識にのぼらないようになります。
このような「排除」と「模倣」によって、環境と分離しないように、あらゆる外界の事柄と密着していることで、恐怖を伴う耐えがたい刺激に対処しているといえます。
【こだわり】
自他境界の薄さから、自分の内側と外側という認識が立ち現れづらいことで、自分の内側についてのまとまりが十分に形成されにくくなります。
自分についての理解は「自分はこうしたい」という主体性ともいえる新たなまとまりをつむいでいく素材となりますが、自他境界が薄いと主体性の発揮も狭いものになります(10)。
また、他者存在を含めた外部刺激によって、この自分についてのまとまりもかき乱されやすく、パニック状態に陥ってしまいます。
そのため、決まった行動パターンを作って、目に見えて身体で感じられる刺激を自ら生み出すことで、自分についてのまとまりの代わりにします。
こうして落ち着きを自ら作り出しているため、周囲からこだわりとして見える決まった行動パターンを奪われると、自身を保ちづらくなる脅威にさらされ、パニック状態になってしまいます(11)。
【付着同一化】
上記の落ち着きのための決まった行動パターンは、人間関係のパターンにも表れることがあります。
自閉症への支援を行っていた Meltzer(1975)が理論化したものに「付着同一化」という言葉があります。
付着同一化とは、ASDの耐えがたい刺激にさらされる特有の不安感や心許なさを、幼少期に自他のまとまりがないままでも養育者との身体的接触によって緩和させることができた体験をもとに、そのパターンを再現しようという様子を指しています。
自分や他者存在の区別がまとまりによってあまり形成されていないことから、刺激の脅威に警戒しながらも他者と関わろうとするため、自閉対象を伴っていることで、自分と他者存在の間に関係性という距離感がうまく形成されず、「自分ではないもの」が排除されて自他がくっついた独特な関わりとなって、身体接触などの物理的に密着した体験を得ようとします(5)。
自他境界を育てるには
ここでは、自他境界を育てることにつながる支援について、ご紹介していきます。
母子間のやりとりから導き出した理論に、「コンテイナー/コンテインド」モデルというものがあります(12)。
これは、乳児の耐えがたい不快感情を、母がどのような感情なのか思いを巡らせていくなかで、乳児の感情を理解し、それをまるで解毒したような形で乳児に返すことで、乳児は自身の感情をまとまりとして捉えやすくなり、一人でも同様の感情を緩和して扱えるようになる、というプロセスを指しています。
このようなやりとりが成人に対する支援に応用され、訓練された援助者とのやりとりでも可能になります。
こうした支援によって、繰り返しの対話を通して徐々に形成される信頼関係を土台に、「自分ではないもの」になっていた自身の感情や感覚を、まとまりのある状態にしていきます。
このプロセスによって、 停止していた「自分ではないもの」に対する意識化が再活動し、形成された自閉状態から、再び他者との交流ができる状態へと回復することが目指されます(13)。
上記の支援プロセスは、ASDに限らず、さまざまな理由で自他境界があいまいになっている自己構造(パーソナリティ)に適応が可能となっています。
参考文献
(1)谷村覚(1995),自他分化,(監)岡本・清水・村井,発達心理学辞典,ミネルヴァ書房,p269
(2)Winnicott, D. W.,1965,The Maturational Processes and the Facilitating Environment: Studies in the Theory of Emotional Development. Hogarth.(訳)牛島定信,『情緒発達の精神分析理論―自我の芽生えと母なるもの』,岩崎学術出版社,1977
(3)高田利武(1993)青年の自己概念形成と社会的比較ー日本人大学生にみられる特徴ー教育心理学研究,41,p339-348
(4)高田利武・松本芳之(1995),日本的自己の構造ー下位様態と世代差ー心理学研究,66,p173-178
(5)Meltzer, D.・Bremner, J.・Hoxter, S.・Weddell, D.・Wittenberg, I. (1975). Explorations in Autism A Psycho-Analytical Study. London: Cathy Miller Agency(平井正三 (監訳) (2014). 自閉症世界の探求―精神分析的研究より― 金剛出版)
(6)Bick, E. (1968). The experience of the Skin in Early Object Relations. International Journal of Psychoanalysis, 49,p484-486.
(7)Carlson, S. M. 2009 “Social origins of executive function development.” New Direction for Child and Adolescent Development, 123, pp87-98.
(8)Roisman, I, G. Padrón, E. Sroufe, L. A. and Egeland, E. 2002 “Earned-Secure Attachment Status in Reporot and Prospect” Child Development, 73, 4, p1204-1219.
(9)Tustin, F. (1972). Autism and Childfood Psychosis(齋藤久美子 (監修) 平井正三 (監訳) (2005). 自閉症と小児精神病 創元社)
(10)河合俊雄・田中康裕 (2013). 大人の発達障害の見立てと心理療法 創元社
(11)河合俊雄 (2010). 発達障害への心理療法的アプローチ 創元社
(12)Bion, W. R. 1963 “Elements of Psycho-analysis.” Heinemann(reprinted Karnac Books, 1984).(福本修(訳)『精神分析の方法I〈セブン・サーヴァンツ〉』法政大学出版局,1999)
(13)Meltzer, D.・Bremner, J.・Hoxter, S.・Weddell, D.・Wittenberg, I. (1975). Explorations in Autism A Psycho-Analytical Study. London: Cathy Miller Agency(平井正三 (監訳) (2014). 自閉症世界の探求―精神分析的研究より― 金剛出版,p19)